「ハーレーを駆って」

〜チーム・キリスト〜 長井 昭

 デニーとの出会いは十年前、宮島を望む国道二号線のパーキングだった。彼は、ヤマハのアメリカンバイクの、分厚い本皮シートに横座をして、旅の空を見ていた。ただそうしているだけなのだが、自由と旅なれたバイカーの臭いがあった。
 私は、愛車のカワサキをその背中に止めた。彼は振り向きざまに「ハイ!」と左手を上げた。「調子はどうだい。」と私が言うと、サムアップで答えた。これが、すべての始まりだった。
 それから、一年後、彼はハーレー・ダビットソン(以後H・D)を手に入れ、私は限定解除免許(現在の大型二輪免許)を手に入れた。岩国基地のH・Dパーティーに参加したり、旅に出たりと、片言の英語と片言の日本語ではあったが、様々な想い出ができた。そして、私もいよいよH・Dをと思った矢先、事件は起こった。湾岸戦争が勃発したのだ。
 最後の旅の後、デニーたちはH・Dを売り、ペルシャ湾に送られた。それからしばらくして私はH・Dを手に入れ、友人の帰りを待った。戦場からの手紙を私は始めてもらい、祈る思いで返事を書いた。まさか、自分の友人達が戦場に行く
とは夢にも思わなかった。「何人かは、殺されるのだろうか?人生ってなんだろう?命とは?人間は、何処から来て、何のため生きて、何処へ行くのだろうか?」たくさんの疑問に押し出されるようにして教会に行き、洗礼を受けた。
 その後、戦争は終わり、デニーからも無事を知らせる便りが届いた。しかし、人体実験やウラン弾の被爆など、いわゆる「湾岸シンドローム」の情報が飛び交った後、手紙が途絶えた。そして、私はH・Dを売った。
 やはりちょうど十年ぐらい前に、アーサー・ホーランドという宣教師と出会った。体育会係筋肉の固まりの熱血宣教師である。彼が山口県に来た時、私はH・Dを駆って会いに行った。それが、教会に行くきっかけになったのだが、彼にと
ってもH・Dを駆って宣教をするというビジョンが沸き上がるきっかけとなったH・Dが取り持つ不思議な縁だ。
 アーサー師は「ザ・ロード・エンジェルス」という、クリスチャン・バイカーのチームを起ち上げた。私は神に祈り、再びH・Dを駆ってこのビジョンに向かって走ろうと決意した。十年ぶりのH・D探し、血と肉が躍る。奇跡的に願い通りのH・Dを手に入れることができた。私も「ザ・ロード・エンジェルス」の一員となったのだ。
 バイカーたちは気軽に声を掛け合い、すぐに意気投合する。旅の途中にあるバイカー同士ではなおのこと。焚き火のまえで、食堂で、パーキングで、「これどうぞ、うちのチームです」と聖書のショートメッセージとチームの紹介を載せた小冊子を手渡す。
 「このチーム、キリストとリンクしてんのかッ!すげー!」「罪人なら俺たちゃ負けてねいぜ!はははは・・!」実にストレートにいい話しになる。難しい話は無くていい!なぜ?「初めに、神は天地を創造された。」聖書の始めの言葉は、天と地の間を駆ける者にとってはバイブルを読んだことがなくても、理屈なしに毛穴から体に染み込んでくる。夏なら、暖かい日差しに渇いた空気。そして肌に触れる熱風。ハンドルを握ってアクセル全開。ひたすらと続くハイウェイにこだまするマシーンの響き。広い、大きい、すげえと心が感動し、叫んで、喜び、踊る。
 GOD(神)の存在は理屈ではなく事実であることを納得させられる。NATURE(自然界)に出てそのスピリットに触れることは、都会の中で己を見失っている者に、確かないのちの存在があることを味あわせてくれる。まさに神から人への
愛の人工呼吸なのかもしれない。都会の空気に息苦しさを感じるとき、ちょっと自然界に出てみてはどうだろう。見栄張って、比べ合って、威張って生きている人生がいかに馬鹿らしいか、太陽が教えてくれる。人間関係で疲れている心に、優しい風が癒しの手を差し伸べてくれる。また、澄んだ大空が小さな問題を忘れさせてくれる。そしてたくましく、かつ美しく咲いている野の花は、私たちが大切な存在であることを感じさせてくれる。天と地は神の愛のメッセージで満ちている。
 秋風に誘われ、H・Dを駆ってたどり着いたパーキングに、あいつはいた。「デニー生きていたのか!」私たちは映画のワンシーンのように抱き合った。「イマ、イワクニベースニイル、アキラ、H・Dカ?イマドコ、スンデル?」十年間の積もり積もった話が涙ともに溢れ出したそして、いつものように「うちのチームだ!」と、みんなの前でトラクトを渡した。私が「ガッド・ブレスユー(神が共にあるように)」と言うと、デニーが、「ワオー!アキラ、クリスチャンニナッタノカ!」と大きな声で言った。みながいっせいに振り向いたとき、私は照れかくしに秋晴れの素晴らし過ぎる青空を見上げていた。


写真素材:ひまわりの小部屋