鹿島 望
竜宮城からの生還 鹿島 望

この度は私とイエス・キリストとのすばらしい出会いを皆様にお証しできることを
大変うれしく思います。また神様にも心から感謝しています。あ、ごめんなさい。
自己紹介をわすれていました。私、三滝GC英語部の鶯(ウグイス)こと鹿島 望
と申します。始めまして。それでは早速、証をさせていただきます。
私は熱心なクリスチャンの家庭で育ちました。物心ついた時から毎朝お祈りをして
聖書のお話を聞かされていました。教会に行くといつも教会員の方々がお父さんや
お母さんの様に面倒を見てくれました。当時の私には非常に多くの父、母がいたこ
と覚えています。そのような愛の家族の中で成長しましたので、いつでも神様に頼
る習慣が出来ていました。そして順調に成長し、背丈も伸び、たくましく、ほほえ
ましくまた愛らしく?育ち中学1年生の時に洗礼を受けました。このサラブレット
の様な証で終われたらなんと後味が良いかと思いますが・・・そうはいきません。
私にとってはここからが本当に神様と自分が出会う計画の始まりでした。
高校生になり教会へあまり行かなくなりました。その原因は、毎週日曜日に神様と
の交わりよりも教会の中高生の友達との交わりの方が中心になってしまい、それ目
当てで教会に行くようになってしまった事にあったと思います(当時は分からなか
ったが)。そのため学校生活が楽しくなると教会生活よりも学校生活を優先にして
しまい、いつのまにやら神様との関係が崩壊してしまいました。そしてその崩壊は
10年間続きました。イエス様の事を思い出すと自分の罪が明るみに出るようでど
んどんイエスを憎むようになりました。そうなると罪の意識が完全に麻痺してしま
い、とても多くの人々をイエス・キリストの愛と反対方向へ招くようになり、人を
だまし傷つけまた恨まれ、それでも自分の利益ばかり考えて生きるようになりまし
た。またその人生に大変満足していました。当時、心から「俺に神は必要ない。も
う二度とイエス様の元へ戻ることはない。」と思っていました。
その頃からサーフィンに夢中になり、それが自分のライフスタイルになり、いろん
な場所に移り住み、良い波をさがして湘南や宮崎、千葉といろいろな場所で生活を
し、台風を追っかけて南の種子島から北上し続けた事もありました。ハワイやイン
ドネシアまで良い波を探しにも行きました。完全に神様を信じない生活を過ごして
いたけど、言葉にならないくらい綺麗な海や、大自然、夕日、朝焼けまた力強い波
を味わうといつも「これは人間の造った神(偶像)では創造できないよ!真の神様
はすばらしい。」と心の中で矛盾をつぶやいていました。そしてまた同時に人間の
無力さも感じさせられました。         
この様に日々非常に楽しい生活(私の中では竜宮城時代と呼んでいる)を過ごして
いたのですが、その生活に慣れるとだんだん飽きてしまいむなしさが残るようにな
りました。いつまでも変らず自分を満たしてくれるものはなにか?また本当に楽し
い人生とはなにか?と真剣に考え探しました。考えて、考えてついに出た答えが海
外永住でした。まずその為には英語が最低限必要、しかしお金が無い。何か良い方
法がないか?といろいろ試行錯誤しているうちに、今から約5年前に父に教えても
らい、この三滝GC無料実践英会話クラス(正確には三滝GC英語礼拝)へ出席し
ました。
初めて英語礼拝に出席し、言葉は通じなかったけどなにか温かいものを感じました。
しかし自分の中で「俺は英語の為に教会へ来たのだ」と言い聞かせていました。そ
んなかたくなな自分の心を溶かした一つの出来事がありました。それは英語礼拝へ
出席して3ヶ月位過ぎた時、仕事中、お客さんの高級車で事故を起こしてしまい、
保険が利かず自己責任となり高額弁償となりました。そのことを教会のある兄弟に
話すと、次の週の礼拝の後にこっそり「これは日本でいままで貯めたお金よ。望の
ためにあげる」と太い封筒を私に差し出しました。もちろん彼は英語で話したので
すが私はこの時、彼の中に住んでいるキリストの愛を見ました。いつのまにかイエ
ス・キリストに完全に心を打たれていました。今まで10年間涙など流すこともな
かったのに、その時は風呂にたまった水が栓を抜かれて激流のごとくながれる様に
涙が流れてきました。
ついでにもう一つ。死んでいたもの(私)が生き返った陰には、やはり両親、また
教会の家族のとりなしの祈りがありました。ある時、神様から離れて生活をしてい
る時に、実家の両親の家に泊まる機会がありました。朝早く目が覚めてトイレに行
くと、部屋に灯りをつけて一生懸命私の為に祈っている母の後ろ姿がありました。
その当時はその姿を見ながら、無駄だ!止めとけ!と心の中で叫んでいましたが、
いま思えばあの祈りのおかげで本当の真理に触れる事ができた(死から生き返った)
のだと思います。
その他にも神様は溢れんばかりの恵みを私に与えてくださいました。その恵みの証
しは、また別の機会にさせていただきます。私はイエス・キリストに心から感謝し
ています。こんな自分勝手で人を愛す事の出来ない私のためにも十字架に架かって
死んで下さり、そして罪を赦して下さいました。「父よ、彼らをお赦しください。
彼らは何をしているか知らないのです。」は私の為に言われた言葉でした。
私はこの経験を通して、「私の信じている神様は生きていつも共にいる!」と声を
大にして証します。そしてこのイエス・キリストを信じて足を一歩踏み出す時、初
めて人間の価値観や考えを越えたすばらしい神の御計画と恵みを理解することが出
来ると思います。

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、
わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、
あなたがたは何もできないからである。               
ヨハネによる福音書15;5