「佳香ありがとう」

〜聴覚障害者の娘をもって〜 長岡 静香

 春の芽生えの季節でした。長女が初めての誕生日を迎える前日、突然の高熱が三日間も続き、緊急入院となりました。「高熱と、白血球の増加により、敗血症の疑いがあります。
危篤状態です。今夜を越せるかどうか分かりません。」思ってもみない医者の言葉に、なすすべもないまま、娘の生死の瀬戸際に立たされました。私は無意識のうちに、神様に向かって叫んでいました。「神様!娘の命を助けて下さい!お願いします!」心の中で必死になって助けを請い続けました。
 重苦しい夜も明け、高熱も下がり、ぐっすり眠る娘を見て心から安堵しました。しかし、その安堵したのも束の間でした。今までに見たこともない無表情な顔を見たのです。おびえながら身を震わせて泣き叫ぶ娘の様子に気づいたときには、娘は既に聴覚が冒され、音のない世界に入っていたのでした。薬の副作用でした。今まで音のある世界にいたのですから、恐れおびえるのも当然のことです。わたしの呼ぶ声も、自らの声さえ聞こえません。
娘にとっても、私にとっても、長い苦しみの日々が始まりました。
 数年があっと言う間に経ち、障害のために、娘はろう学校に通うようになりました。
主人の仕事の関係で山陰の松江におりましたときに、ろう学校中等部の担任の先生がクリスチャンでした。先生は娘を家に招いて下さり、娘の心は次第に明るくなりました。
 ちょうどその頃のことです。当時のろう学校では、手話は厳しく禁じられていたのですが、一人の女の先生が「娘さんの将来のために手話は絶対必要です」と強い口調で言われ、私は不本意ながら従いました。「親が手話をするなど恥ずかしい」、とPTAの方々から非難されましたが、先生の励ましで学び続けました。他の聴覚障害者の方々も先生と一緒に教えて下さいました。
 時を同じくして、一冊の本に出会いました。カール・ヒルティの「眠れぬ夜のために」という本です。正に私のために備えてあったかのようにこの本を読みあさりました。その中にあった「神は愛なり」という言葉がわたしの心を捕らえました。また、賛美歌の一節でもある「おまえの上に最も良きことが定まっていると信じなさい。おまえの心が静かになりさえすれば、助けは無理にも来る。そうすればおまえの悩みを恥じるだろう。」という言葉も心に残りました。
 この本がきっかけとなって、聖書と出会うことになりました。神の臨在、真理なる愛、十字架の意味を知る者と変えられ、信仰と祈りの生活が始まりました。
 その後、広島に移り住んだのですが、娘の手にした一枚のパンフレットによって三滝グリーンチャペルに導かれました。生まれて初めて教会に行ったのですが、そこで出会ったのが堀川英子先生による手話の説教でした。ほんとうに驚きました。手話を使って、神様のすばらしいお話が語られていたのです。その日以来、教会に通うようになり今日に至っています。数年後主人も教会に来るようになり、今では家族そろって同じ信仰を持つことができました。
 私たちを信仰に導いてくれることになった娘は、今では四国の新居浜に嫁ぎ、幸せに暮らしています。娘の障害を通して、家族全員に神様が幸せをお与え下さったのだ、と今は確信し、神様に感謝しています。

「わたしが道であり、真理であり、命です。」(聖書)


写真素材:ひまわりの小部屋