「世界中どこででも」

〜見知らぬ国で〜 小林 龍夫

 会社の命を受け、異国に向かう空の旅。新しい土地と人に出会う期待と不安が行き交うながらも快適な一瞬。それまで窓の下に見えていた真っ青な海が白い雲に変わり、機体がガタガタ揺れ始める。機体を支える大きな翼の先を見ると大きく上下に揺れている。どこかに亀裂が入れば落ちてしまうのではないかと思い出すとどんどん心配になってくる。キリスト・イエスを信じる信仰に入ってからは、「すべては神の意図のまま運ばれる。もしここで落ちるのが神の意図であるならば地上に居る時よりも早く天国に上げられる。」と考えると全く心が落ち着き、平安な心に戻る事が出来る。
 海外出張を通じ訪れた数少ない国々での体験をご紹介したい。
早期に布教された国々ではやはりその歴史の長さを実感する。キリスト教の信仰に入る前は、その歴史の古い教会の建物の前に立ち、学校時代に教科書や百科事典で見た写真と同じものを目の当たりにできたと非常に喜んだものでした。最近は同じ場所を訪れたとき、教会の中に入り、神での祈りを楽しみ、数多くの恵みを数え上げるとともに、建物を建てるに及んだ神の働きや、神を信じた人々の信仰の強さを感じるようになってきた。とくに何世紀にも亘って建設を継続している教会に出会うとき、その地方の人々が日々教会の拡大を願って、祈り続けた情熱を感じると共にきっと有したであろう人々の挫折に、神が打ち勝たれ、人々に働き掛けられた力の偉大さが知らされる。更にその地方の人々と同じ信仰を持つ仲間意識が芽生え、友好的に仕事を推し進められる。
 人々の年齢構成・太陽の高さの関係もあろうが、北欧の教会では重厚で非常に落ち着きを感じ、赤道に近い南方の国々メキシコ・フィリピンでは陽気で、明るさ若さを感じる事ができる。日曜日には教会の周りには家族ぐるみで実に楽しげに人が行き来し、特に幼い子供達が思いっきりおしゃれし、はしやぎ、家族と共に通う様は和やかであり、又羨ましくもある。小さな時からキリスト教の教えに馴染み大人になっても実践している。日本が太平洋戦争で関わりを持った国々においても、神の教えの通り、我々日本人を温かく迎えて下さっている。
 一方、国の政策で宗教を禁じられてきた国々ロシア・中国では、一旦この政策が解除された途端、神を求める心がものすごい勢いで拡大して来ており、素直に神に接する権利を勝ち得た事に喜んでいる様はすばらしい。北方に位置する国々で 5月になるとそれまで葉を落とし、枝だけになって冬の厳しさに耐え忍んでいた木々が一斉に花を咲かせるのに似ている。
 昨年の夏、インド旅行中にサイクロンに巻き込まれ、旅行中の航空機がキャンセルになってしまった事が有る。市内の大雨と洪水で全ての交通機関はタクシーを含めて不通。市内の電話も不通。苦心の末、夜中零時を回ってから何とか手配の付いた空港からホテルに向かうタクシーの中での出来事。世界各地で日本人が襲われる事件が、又ここでも起きてしまうのではないのかと不安を胸に乗ったタクシーの中に見付けた十字架。「ここにもイエス・キリストを信じる人が居た」と、大雨の中をのろのろ走るオンボロ車中にてやっと安心し、全てをドライバーに任せる事が出来た。世界どこに行っても、機上にあっても、車中にあっても、いつでも「神は私と共にいて下さり守っていて下さる」幸せを与えられた。


写真素材:ひまわりの小部屋