「人を救う本当の力」

〜聖書に出会ってから〜 鈴木 昭仁

 野球少年だったわたしは、高校野球の名門校に高校に入学して間もなく、肩をこわして野球ができなくなりました。人生最初の挫折でした。野球がダメなら勉強で、と必死で机にかじりつきましたが、大学入試にも失敗し、二度目の挫折を味わいました。そんな私に、さらなる挫折がやってきました…。
 私はとある信仰宗教の指導者の家庭に育ちました。長男である私は、後継者となるべく小さい頃から教育されました。
毎日毎日、朝、タの「おつとめ」を欠かさないこと、家を出る時、帰る時に、社(やしろ)を拝むこととかが、日課でした。病気の時には特別なお祈りをささげ、定期的に儀式や行事が営まれ、「神様」を意識しないで過ごすことはありませんでした。
 挫折しつぱなしの私でしたが、家の信仰には自信を持っていました。次の後継者は私の父親でしたが、「僕が継ぐから父さんはやらなくてもいいよ。」と真剣に言っていました。そして「世の底辺からどんどん布教していこう。」と思っていました。
 そんな思いを持って高校を卒業し、浪人生活の始まった時に、私の弟が原因不明の病気になりました。祖母や母は病院に行くことを考えず、信じている神に必死に祈りました。私も、自分の子の様にかわいがっていた弟のために全身全霊をもって祈り、また世話をしました。しかし、弟はよくならないため、病院に行くことになりました。医者に「もう少し遅かったら手遅れだった」と言われましたが、弟は助かりました。
 父は「何で早く病院に連れて行かなかったのか」と母を責め、祖母は「両親の仲が悪いからだ」と弟の病の原因を父と母のせいにしました。祖母や母は、こと信仰に関しては、非難されるところのない人達だと私は思っていたのです。このことで私は家の信仰に疑いをもち始めました。生まれてから一度も疑ったことのない神に対してです。私は自分の過去を振り返ってみました。
 私の目標とする将来の人物像は、小、中学校の時から、テレビの「大草原の小さな家」に出てくる「チャールズ父さん」でした。この話はキリスト教をベースにしており、自分の信仰とは異なっていたのですが、私は好んで見ていました。
 中学生の時、家に聖書を訪問販売するために外国人の方が来られました。祖母はお金だけ渡して聖書は受け取りませんでした。その時私は、質問しました。「何でキリスト教じゃだめなの?」祖母は「信じる人しか救わないからだよ。」と答えました。私は心の中で考えました。「じゃあうちの神は信じない人も救うのか、そいつはすごい。でも、それならなぜ布教する必要があるのか?」と。
 小学校の同級生が、教会の日曜学校に通っていました。正義感が強く、まじめで人望も厚い人で、私も仲良くしていました。中学は別の所へ行ってしまったのですが、わたしの中に「キリスト教会か…」という印象が強く残っていました。そこまで思い返しわたしのこれまでの人生には、「キリスト」が何か関係しているのではないかと思いました。
 私はすぐに小学校の同級生が行っていた教会を調べ、電話しました。「話をききたいので伺いたいのですが」と。電話先には外人のおばさんの声がしました。「明日来て下さい。」私は翌日教会へ行きました。その宣教師は、私の生い立ちを知り、たいへん驚いて「ああすごい、どうしましょう。」と独り言を言っていまいた。何がすごいのかその時分からなかったのですが、私に新約聖書を渡し、「これを読んで分からない所があったら聞きにきなさい。」と言われました。
 自分に残された最後の自信と誇りであった信仰で挫折した私は、取り憑かれた様に読み進み、一週間で新約聖書を読み通しました。その間、ほとんど毎日宣教師を訪ねました。「聖書にはまさに神の知恵が満ちている」と感激してやまない日々でした。聖書の言葉を信じることは、自分の過去すべてを否定することを意味しましたが、不思議なことにごく自然に「イエスを神として受け入れる」ことができたのです。
 今では、家族の救いのために共に祈ってくれる妻と、その架け橋となる娘を与えられ、こんな生い立ちを持つ私を、神は愛と祝福に満たしてくださっています。


写真素材:ぶどうの木